咳が止まらない理由と自分の本心

2017.08.10 Thursday

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    2014年の記事です。
    以下は4月20日の記事です。
    この「咳が止まらない」ということについて、スピリチュアル的にとても関係があるので
    後で追記で記事を書きたしますのでちょっと待っててね。





    義理の妹が電話をかけてきた。
    風邪を引いた後の咳が止まらないというような内容だった。
    いつもはそんなことで電話なんてしてこないのに。
    今回は余程、辛かったのだろう、どうしたらいいかしら? と、話を切り出した。

    抗生剤をずっと飲んでいるのに、全然咳が止まらない。
    どうしたらいい? お姉さん、お灸をよくするって聞いたんだけれど
    お灸をしたら咳が止まるかしら?

    そんなような相談だった。 私は直ぐに咳が止まらない理由がわかった。

    「あのね、もう体がギブアップなの。
    貴方はね、もう何もやりたくないのよ。違う?
    妹の子供の面倒も見たくないし、家事も嫌だし畑の仕事も もうやりたくないのよ。
    頑張りすぎだよ、体がギブアップしているんだよね。
    貴方は子育てをする性格じゃないから、無理だって。
    子供を一番にして自分のしたいことを後回しにしてきたけれど
    それがもう限界なんだと思うよ。 体は正直だからね。
    咳が治って体調が戻ってしまったら、また色々とやらなきゃ いけないことがあるでしょ?
    子供の面倒を見て、親の面倒を見て、畑をやって、、家事を こなして、、、もういっぱいいっぱいなんだよね。
    貴方はもう何もやりたくないのよ。休みたいの。
    咳が止まらないのは自分を一番に考えてほしいっていう 体からのメッセージなんだと思うよ。
    自分の声をもっと聴いてって、、、違うかな?」

    私の言葉に、妹はとても驚いた様子だった。
    なぜ知っているの?と聞いてくる。 だって、、、そりゃ、、、それが仕事だからさ。
    な〜〜んてことも言えず・汗 妹は、今まで溜まっていたものを吐き出すように 自分の心の内を話始めた。
    妹さんの子供の面倒を見ているのは、妹さんが体調が悪い こともあるが、長女なんだから!
    という強い使命感のような ものもあった。 近所の人も貴方は長女なんだからしっかりしなきゃ!
    とか 跡取りなんだから、、とか、顔を見ると言ってくるらしい。

    両親の体調も悪く、医者への送り迎えも家事もなんでもかなんでも 自分で全部しょい込んでしまって、
    自分でも訳の分からないまま やっていると自分でも言っていた。

    「そうだよね、そうだ。 私お姉さんに言われるまで気づかなかった。
    私、何もしたくないんだわ。 何だか疲れちゃって、、、生きてても楽しくなくて、、つまんなくて。
    人さんの目を気にしてて、、親のことや妹のことばっかりで 自分のことを全然考えてなかった。
    そうだわ、お姉さん。 じゃあ。どうすればいい? どうすればいいかしら?」

    妹は自分の気持ちに初めて気づいたようだった。

    「自分に言い聞かせればいいよ。 もう無理はしないって決めればいい。
    自分を一番にするって、そう自分で決めれば咳は自然と治って いくと思うよ。
    嫌なことは嫌だという。 無理なことはできませんっていう。
    それが例え親であろうと妹であろうと一緒だよ。
    妹さんだってもう結婚したんだから、貴方の妹っていうよりも 旦那さんのものでしょ?
    嫁でしょ? 立場が違うんだよ。私が言っていること、わかる?
    妹よりも自分だよ。 自分の人生を考えないと。 それが自分を守るってことだし、
    自分を愛するってことだからね。」

    「だって、今までは私がやらないとダメだったんだもん。」

    と、妹が言う。 私は妹の気持ちがとてもよくわかった。
    やらなければならないときって、あるからね。うん。

    「うん、今まではそれで良かったんだよ。 貴方がやらなければ回らなかった。
    だからやってきたんだよ。自分のことを隅においてね やるべきことをやってきたんだよね。
    その辛い経験をしたことによって、貴方も色んなことを学んだじはず。 でしょ?
    自分では子供はいないけれど でも子育てを経験したおかげでわかったことも多くあるでしょ?
    それでいいんだよ。 過去はそれでいいの。経験をしたってことだから。
    でもこれからはもういいんだよ。無理をしなくていいんだよ。
    そうゆう時期が終わってさ、これからは自分の幸せを 考える順番なんじゃないのかな?
    と、私は思うよ、うん。」

    と、私が言うと妹は泣きそうな声で言った。

    「私、お姉さんに会いたい。 会って話がしたい。
    なんでだかわからないけれど、実の親よりもお姉さんに 相談しちゃうんだよね。
    なんでだろう? 不思議とお姉さんと話していると気持ちが休まるし、、、
    なんていうか、、、すっごく楽になるんですよ。 怒られてばかりだけど、
    でもそうやって怒ってくれる人は お姉さんだけなんですよ。
    だから私も何かあるとお姉さんを頼ってしまって、、、。
    私、お姉さんの顔を見て話たい。 お姉さんに会いたいって、今凄く思うんです。」

    と、義理の妹が切実に言う。 まあ、それが私の仕事だから。 とは言えず(笑)

    「自分の気持ちに正直に。 もっと自分を褒めてあげて、そして自分の声に耳を傾けてね。
    もっとグダグダしていいんだから。」

    「そうしてみる、お姉さん、私グダグダしてみる。 もう無理しない。 体を休めるようにします」

    妹の心に変化が起こったようです。 私はやっぱり 人の心を動かし、
    そして変化させることが得意なようです。


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    日本昔話の中に秘められているメッセージ 2

    2016.03.28 Monday

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      過去記事

      07/04 THU

      『日本昔話の中に秘められているメッセージ 2』

      さて、もう一つ。タイトルは確か「魚女房」でした。
       釣り人が海で釣りをしていると、急に天候が悪化してきた。
      そんな時に、釣り人は今まで見たことがないような美しい模様の魚を釣り上げた。
       釣り人は、その魚を生きたまま持ち帰り、瓶の中に入れていた。

      翌日、釣りに行って帰ってくると、とても美味しそうな御馳走が家の中に並んでいる。
       釣り人は、誰もいないのにおかしいな? と思いながらも、とても美味しい料理を頂いた。
       翌日も同じように料理が並んでいた。
       不思議に思った釣り人が、近所の年寄に話をすると、年寄はこう言った。

      釣りに出かけたふりをして、家の中を覗いたらいい。

      釣り人は、言われた通りに家の中を覗いた。
      すると、瓶の中から綺麗な魚が飛び出して、みるみる美しい若い娘の姿になった。
       娘は手際よく料理の準備に取り掛かった。

      釣り人はその後、美しい魚の娘と所帯を持った。
       子供にも恵まれ、赤ちゃんができた。とても幸せに暮らしていた。
      だが村人は、あの娘は魚女房だと噂をして、釣り人を笑った。冷たく当たった。
      誰も相手にしてくれなくなった。
       釣り人は、次第に村人の噂を気にするようになり、ついには自分の女房に、
      お前がここにいるから俺はみんなから笑われるんだ!この家から出て行け!!と言った。
       魚の女房はとても悲しそうな顔をして家から出て行った。
       家に残ったのは、幼子だけだった。

      釣り人は我に返り、慌てて女房を追ったが、魚の姿に変わった女房は、海の中に消えて行った。
       釣り人は何度も女房を呼んだ。だがそれっきり女房は帰ってこなかった。
       釣り人は幼子を抱えたまま、いつまでも愛しい魚女房を呼んでいた。

      帰ってこ〜〜い!!

      と、来る日も来る日も呼んでいたが、ある日、釣り人の姿が忽然と見えなくなった。
       代わりに、一羽の鳥が「コーイコーイ、、」と鳴いていた。
      村人は、釣り人が鳥に姿を変えたんだと言った。


      という話ですが、、、悲しいね〜。

      さて、ここで問題です。
      この物語には、とても重要なことが隠されています。それは何か?
      そうです。
      他人の言うことなんて気にするな!!ってことです。
       他人は他人。
      嫉妬や妬みで、好きなことを言いますから、そんなことにいちいち耳を傾けていたら、
      自分の幸せがどこかにいっちゃうよ!!って話です(笑)
       家の中が幸せだったら、世間の噂なんて気にすることなんてないんです。
      それが例え魚だろうが、牛だろうが、綺麗で料理が上手くて、とても幸せなら、それでいいんですよ。
       世間の噂ほど、不確かなものはない。世間の噂は、自分を守ってはくれません。
      他人の目や噂なんて、どうってことない!!ってことです。

      いや〜〜〜深いよね、日本昔話!!
       

      日本昔話の中に秘められているメッセージ

      2016.03.28 Monday

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        07/02 TUE

        『日本昔話の中に秘められているメッセージ』

        日本昔話を見た。

         まあ、テレビを着けたら偶然(いや、偶然じゃないか)やっていた。
        タイトルは忘れたけれど、とても印象的な内容だった。

        ある娘がいた。娘は夢を見た。
        それは、阿弥陀如来様の夢だった。阿弥陀様が仰った。

        明日、向かいの山谷を越えて歩いていくと、夕方に一人の男性と出会う。
        その男性と所帯を持ちなさい。

        その言葉の通り、娘は山谷を越えて歩いていくと、夕方に一人の若い男性と出会った。
         娘は、その男性に正直に話をすると、男性は娘を家に連れて帰った。
         父親に話をすると、父親は、息子が嫁にしたいならそうすればいい。
        と言ったので、二人は夫婦になり所帯を持った。
         暫くすると、男性が阿弥陀如来様の夢を見た。

        ここはお前たちの住む場所ではない。ここを出て西に向かいなさい。
        夕方まで歩くと開けた場所がある。そこに住みなさい。

        朝、父親に夢の話をすると、嫁も同じ夢を見たという。
         夫婦は、阿弥陀様の仰った通りに、今まで住んでいた場所を離れ、父親を背負って西を目指した。
         夕方まで歩くと、阿弥陀様が仰ったように開けた土地が見えた。
        だが、そこには何もなかった。

        途方に暮れた夫婦だったが、何とか家を作った。
         暮らしは以前よりもずっと苦しくなったが、土地を耕し、田畑を作った。
        来る日も来る日も、一生懸命に働いた。
        だが、それでも以前よりも暮らしが苦しかった。
        それでも夫婦は、必死に田畑を耕し、そこで暮らした。

        そんなある日のこと。旦那さんが疲れて昼寝をしていると、トンボが飛んできた。
        そしてトンボは、旦那の口にしっぽをとんとんっとつけた。
        そのままトンボは岩陰に飛んでいき、また戻ってきて旦那の口にしっぽをとんとんとつけた。
         嫁はその光景を見ていた。
         旦那は起きると、不思議な夢を見たと嫁に話した。
         今まで飲んだことがないくらい、美味しいお酒を飲んだ夢だった。
         嫁は、さっきまでのとんぼの話をした。

        とんぼが飛んできた。
         二人は、トンボが飛んでいく後を追いかけていくと、岩陰から綺麗な小さな滝が流れていた。
         池があり、とんぼはそこでしっぽをつけて飛んで行く。
         夫婦はその池の水を飲んだ。なんと、その池の水は美味しいお酒だったのだ。
         二人はそのお酒を汲んで帰ると、年老いて体調が悪かった父親に飲ませた。
         父親はみるみる元気になった。

        二人はそれからお酒を売って、みるみる内に大金持ちになった。
         二人が住んでいる土地には大勢の人が住み、そこは豊かな村になった。
         夫婦はとても幸せになった。

        というような内容だった。

        ここで問題です。この話の中には、とても重要なことが書かれています。それは何でしょうか?

        分かった人、いる? そうです。この話は実はとても深いんですよ。

        この娘は、自分がみた夢を信じて、山谷を歩いて行かなければ、男性と知り合うことはありませんでした。
        物語は終わりです。っていうか、結婚していないです。
         二人が結婚した後も、阿弥陀様の夢のお告げを信じて西に進まなければ、お酒の泉には巡り会いませんでした。
        かろうじて信じて行ったとしても、何もない開けた土地を見て、
        絶望してしまって、なんでここにきてしまったんだろう?って思って、自分を責めて、
        自分のやったことを後悔していたら、あの幸せな結末にはたどり着けませんでした。
         何もない土地を見ても、そこに住もう!!
        と夫婦が決めて、毎日田畑を耕していたからその先の物語があり、とんぼに巡り会えたのです。
        この夫婦は、夢で見た阿弥陀様を信じてここまできた。でも、本当に信じたものは、
        阿弥陀様の言葉ではなく、その言葉を信じて、ここまできた自分自身を信じたってことなんです。
         途中で諦める機会は何度もあった。でも、この二人は、それをしなかった。
        暮らしが貧しくなっても、決して帰ろうとはしなかった。
        その先に、幸せがあるなんてわからないのに、夫婦は今の自分たちを信じたんです。
         目の前の状況に屈するとなく、今の自分を信じるってことがどんなに大変か。
        どんなに凄いことか。稀なことか。
        その辺りを読み解いていくと、とてもいい。

        昔話って、深いです。



         

        縋るか・怒るか・二つに一つ

        2016.03.28 Monday

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          過去記事

          06/27 THU

          『縋るか、怒るか、二つに一つ』

          以前のブログで、「人の人生は、究極、縋るか、怒るかのどちらかだ」と書いたのを覚えている?
           そのことを、もっと深く書きたい。
          今まで生きてきて、色んな経験をしてきて、様々な感情に左右されながら、
          43歳からこのスピリチュアルな世界に偶然到達して、それからも散々なことがあって、
          それでもこの仕事を続けている私が、最近特に思うこと。

          それが「人の人生は、縋るか・怒るかの二つに一つだ」ってことです。
          この二つがわからない人も、きっといつかはそこにいきつくときが来るだろうから、覚えていてほしいと思う。
          人目も憚らずに泣き叫びながら、何かに必死に縋りつくような稀な経験をして、
          体と心と魂を震わせるような怒りを覚え、その怒りに任せて自分のエネルギーをぶつけたとき、
          表現したとき、人の世界は、究極、縋るか怒るかのどちらかでできている。ってわかる。
          肌で分かるんだ。そう、初めてわかる。

          そしてその時に、自分ってものがわかる。自分の本質が自分で分かる。
          これはとても恐ろしいが、わかっちゃうんだ。
          それは、世間体や上辺だけの自分の姿ではなくて、本当の自分の姿です。
          にこにこと笑っていられる内は、どうってことない。
          まだまだ大丈夫。
          そのままにこにこ笑ってその人生を生きていけばいい。
          素敵な言葉だけに耳を傾けて生きていけばいい。
          ポジティブな感情だけが自分の望む人生を引き寄せると思っている人は、そうやって生きていればいい。
          それを信じて生きていけばいい。人の上っ面を見て生きていけばいい。それも人生だから。
          人ってものは醜い生き物だ。こんな醜い生き物はいないかもしれない。

          でも、その醜さの中に、ほんの僅か。
          誰にでもダイヤのように煌びやかに光る、かけがえのない美しいエネルギーを持っている。
          一瞬で、全ての人の心を、感情を変えてしまうような、閃光のような心を射抜くエネルギーを人はもっているんだ。
          吠えたい時には吠えるがいいさ。
          憎いときには憎めばいいさ。
          愛しいときには思い切り愛すればいい。
          愛の次に何が待っているか? なんて考えなくていい。
          怖がるなよ。って言いたい。なぜなら、それが次の感情へ次の未来へと繋がっていくから。
          愛なのか憎しみなのか。
          恋なのか愛おしさなのか。
          人は時々わからなくなる。
          自分でもわからなくなる時がある。
          自分の感情なのに、理解できない時がある。
          人の心の裏と表が、一瞬でひっくり返る。
          それが人だ。

          何かに必死に縋り付かなければならないような状況になった時、
          人は縋り、最後は祈る。最後は神に祈るんだ。
          私もそうだった。
          それができなければ、怒るしかない。
          怒りの感情に任せて、自分や周りや人を怒り、憎むしかない。
          その時にはもう笑ってなどいられない。

          大きな変化を目の当たりにしたとき、人は縋るか、怒らなければ、精神が壊れてしまう。
          心が張り裂けてしまう。だから怒るんだよね、人は。
          そのことを覚えていてほしい。
          怒ったり縋ることは、恥ずかしいことじゃない。
           

          ご縁とは不思議なもので、、、

          2016.02.16 Tuesday

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            2013年の記事です


            〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



            娘の体調がすこぶるいい。
            アチューメントは素晴らしい。
            アチューメントを受ける前は心身ともに疲れていて
            自分の体なのに思うように動かないし、痛みもある。

            家のことも満足にできない様子だったのに
            今では力が有り余っているのか 早くセッションがしたいと言い出した。
            ヒーリングがしたいと。
            昨日はスマホの機種変更に行ってきた。
            待ち時間は90分。でもあっという間だった。
            二人でお気に入りの機種を見つけて、 新しいスマホが私たちの手元にやってきた。
            今まで使っていた機種は何度も不具合があり、何度docomoへ行ったか分からない。
            最後には諦めて、話の途中で切れてしまってもそうゆう機種なんだ。
            といつの間にか腹も立たなくなっていた。
            そんな機種とお別れして、娘と一緒に新しいスマホを手に入れたのも
            何か理由があるのだと思う。 先日アチューメントをしたとき、娘がチャネリングをして言った。

            「私が以前の仕事を辞めようかどうしようか悩んでいた時
            一人で京都の伏見稲荷に行ったの覚えてる?
            あの時にお願いしたんだ。 私が進むべき道に進ませて下さいって。
            あの時に私がヒーリングの仕事に進むことが決まったんだって。
            そしてまだ結婚が決まっていなかったとき
            旦那さんと一緒に高千穂神社に言ったでしょ?
            あの時もお金がなくて行けないかもしれないって思ったけれど 結局行けたじゃん?
            あの時に今の旦那さんと結婚することが決まったんだって。
            だからあの時に旦那さんと高千穂神社に行ってなかったら
            もしかしたら違う人と結婚していたかもしれないってことだよね」

            そうなんだ〜〜へえ〜〜〜〜。
            ご縁か〜〜〜。
            ふと「ご縁」「縁結び」という言葉が浮かんだ。
            何の選択もしていないようで実はとても大きな選択をしている時がある。
            目には見えない人とのご縁や縁結びはまさにそれだと思った。
            あの時、娘が思い立ったように一人で伏見稲荷に行かなかったら
            今の現状は変わっていたのかもれない。
            でも途中経過が今の旦那さんと結婚して子供を設ける。
            と既に決まっているのであれば、それらも全部計画通りって ことになるのだけれど

            、、、 さてさて、事実はどうなんだろうか?

             

            智者の慮りは、必ず利害を雑う

            2016.01.28 Thursday

            0
              過去記事ですが



              智者の慮りは、必ず利害を雑う
               利に雑うれば、而ち務は信なる可し
               害に雑うれば、而ち患いは解く可し

              (読み方:ちしゃのおもんばかりは、かならずりがいをまじう)
               (りにまじうれば、すなわちつとめはまことなるべし)
               (がいにまじうれば、すなわちうれいはとくとべし)

              ※孫子の兵法より

              孫子は古代中国の兵法書です。
               戦を行う時代に於ける様々な教訓が記されています。

              現代の人の多くは、「うまくいっていること」に重きを置いているように思います。

              順調に物事が滞りなく進むことです。
               しかし、戦の世界では、その「うまく事が運ぶこと」にこそ注意を払うべきで、
              何かあるのではないか、と慎重になる重要性を説いています。
              逆に、「うまくいかないこと」があったとしても、そこには必ず、
              まだ気づいていない利点があるというのです。

              「うまくいかない」=「間違っている」「良くないこと」

              と決め付けるのは無知であり、また

              「うまくいっている」=「良いこと」「何もかも正しい」

              と決め付けるのは浅はかであるのです。

              「いいこと」があった時ほど足元を慎重に見直し、
               「嫌なこと」があった時ほどその利点を探る。

              孫子はよく、経営を学ぶ人にも読まれているといいます。
               確かに、リーダー(昔の武将)に求められる素養が書かれていて、勉強になります。

              娘のブログより
               

              なぜ彼女は、、、(笑)

              2015.12.19 Saturday

              0
                テレビでやってた。

                90歳のおばあちゃんが走るのが好きで、100メートルかな?
                記録保持者なんだって。
                ドキュメンタリーなんだけれど。
                凄いトレーニングして、若い人と一緒に走っている姿を写して

                「なぜ彼女は走り続けるのだろうか?」
                ってアナウンサーが言ったのよ。
                それを聞いていた母が一言。

                「心臓が強いからに決まってるよ」

                それを聞いて大爆笑!!笑った。
                朝から、お腹を抱えて笑った。

                あはははは〜〜〜〜〜!!
                いひひひひひ〜〜〜〜〜〜〜!!
                がははははは〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!確かに、そうです!!
                なぜ走ろうと思ったのか?そこに至るまでの人生を語りかかったテレビに
                母はたった一言。

                「心臓が強いからに決まってるよ」

                暫く、笑いが止まりませんでした。


                「心臓が強ければなんだってできるよ!ばーちゃんみたいに心臓が
                弱ければ、ちょっと走っただけでバクバクしちゃうけど。
                この人は心臓が強いんだよ。だから走っているんだ。
                心臓が強い人は何だってできるんだよ、殴られたって殴り返せるじゃん。
                ばーちゃんみたいに心臓が弱い人は、殴られたら殴られたままだよ。
                心臓が強い人は何だってできるんだよ。
                走ることなんて、どうってことないよ!!」


                もう感動したね。凄い。確かにそうです。流石、ばーちゃん。いや〜〜〜〜〜。
                転んでもただでは起きないわ〜〜この母親は!
                でもよく、度胸のある人のことを「あの人は心臓が強い」とか
                「心臓に毛が生えてるんじゃない?」とか(あまりいい印象はありませんが)
                言いますよね?だから心臓が強いって、実はとっても大事なことだと思いました。

                確かに何かあった時、パニックになってしまって、
                心臓がバクバクしちゃって、焦ってしまってどうしよう?!
                ってことってありますよね?でも心臓が強い人って、そうならないよね?
                それがどーした!?かかってこんかい!?みたいな(笑)
                だから心臓が強いって、実は一つの武器なんだと思いました。
                ストレスに打ち勝つ心臓を持っている人は鬱とかにも無縁そうです。

                そうか〜〜心臓が強いか〜〜。
                成程な〜〜うんうん。
                今日はとてもいい日になりそうです。


                青龍桜子スピリチュアルワールド






                 

                境と水の結界

                2014.06.05 Thursday

                0
                  青龍桜子のスピリチュアルワールド



                  以下の夢は11月12日に見た夢です。
                  過去の記事ですが、改めてアップします。

                  一カ月前ですが、記事の中の大家さんが倒れてしまって、それ以来入院しています。
                  倒れる前日にふきを持ってきてくれて、私は喜んで受け取って煮て食べたのに。
                  物凄く元気だった大家さんが急にいなくなってしまって、とても寂しいです。
                  脳血栓だったようですが、今でも起き上がることができないようです。
                  意識はあるようですが、、年齢も年齢なので、ちょっと分からない状態です。
                  倒れてからですが、大家さんの家の庭に湧いていた湧水の流れる音がしなくなりました。
                  とても綺麗な水が辺りに流れていて、私はとてもその音が気に入っていました。
                  静かな中で聞こえてくる水の清らかな流れの音は、心を癒してくれます。

                  いつも家の中まで聞こえていた音が、聞けないことに気づいたのは最近で
                  母とも
                  「あれ?井戸の湧水の音が聞こえないよね?
                  どうしたんだろうね?止まったのかしらね?」
                  と話ていました。
                  そうやら、大家さんが倒れてから家の人が湧水を止めてしまったようなのです。
                  勿体ないと思ったのか、、どうなんでしょうか。

                  あ〜〜湧水、止めちゃったのか、、。

                  水の流れがなくなったとたん、一気に場の空気が変わってしまって、
                  私はまるで別世界にいるようです。
                  普通の土地になってしまいました。
                  水の流の結界があったので私は安心してここに住んでいましたが、、、
                  一気に変わってしまって、、およよって感じです。
                  母は別として、私がここに住む時期は終わったのかも知れない。
                  水は止まったのはそれを意味しているように感じました。

                  何で水を止めてしまうんだろうか?
                  重要性が分かってないんだね〜〜困ったね〜〜勿体ないな〜〜。
                  もしかして私、ほんとに引越すんだろうか?
                  一体どこへ?(笑)

                  なぜかそんなことを思いました。
                  しかしあの時の夢の内容に今回のことが重なって、夢って本当に意味が
                  深いのだとわかりました。まあ、私の場合ね(笑)



                  ***********************************

                  11月12日記


                  今朝はとても不思議な夢を二つ見た。
                  一つは亀の夢です。
                  どこかの家に湖のような大きな池があって、
                  その中には巨大な 亀がいっぱいいて、、、。

                  どぼ〜〜ん!! ぼちゃ〜〜ん!!!

                  池の中から飛び上がるように亀が姿を現します。
                  餌を食べているのかな? 数えきれないくらい亀がいて
                  私はただやだびっくりしています。
                  こ、こんなところにこんなでっかい亀が〜?
                  池の中から顔を出している亀はとても美しい力強いです。
                  池の中で飛び上がってひっくり返って遊んでいます。
                  ばしゃ〜〜〜〜ん!! どぼ〜〜〜〜〜〜〜ん!!
                  すげ〜〜〜〜〜!! でかい亀だ〜〜〜〜〜〜!!
                  私はびっくり仰天です。

                  亀のお腹もとても綺麗で、亀の甲羅の縁は朱色で その色がとても
                  鮮やかで綺麗なのを覚えています。
                  ウミガメなのかな〜? これが一つ目の夢。


                  次に見たのは、 母が住んでいる家の大家さんが訪ねてきた夢でした。
                  大家さんは老人ですが、とても元気な方です。
                  玄関を開けると、なんとそこにはあるはずの大家さんの
                  大きくて立派な家も畑も垣根も何もありません。
                  何にもないんです。
                  私がびっくりしていると、大家さんが玄関に立っていました。
                  なぜか大家さんの背後には灰色?のような巨大な犬が 一匹、
                  傍にぴたっとくっついていました。
                  シェパードのような犬でした。 犬は横を向いたままでした。
                  無表情です。私を見たり吠えたりしません。
                  まるで大家さんの影のようにそこにいました。

                  あれ? 大家さん、こんな大きな犬、飼っていたかしら?
                  私は何だかいや〜〜な感じがしました。
                  大家さんが私に何か言いました。
                  その時は覚えていたのですが、目を覚まして暫くしたら 忘れていましました。

                  「おたくがここにいるのはいいんだけれど、、それはいいんだけど、、、
                  何処から何処までが堺なのか、わからないんだ、、、」
                  (この堺というのは現世なのか来世なのか、それとも死後の世界のこと
                  なのか、分からないって意味だと私は理解しています)

                  よく覚えていないんだけど そんなようなことを言っていたような気がする。
                  私がここにいると、そりゃ分からなくなるよね〜^^すみません。
                  (全ての次元がいつも一緒に存在しているような人だから私は。)

                  何かを私に訴えているような感じだったかな?
                  あ、すみません。そうですか、、みたいな?
                  あ〜〜忘れた。 でも何だかこの夢の世界にちょっと嫌な感じを受けました。
                  そして直ぐに目を覚ましました。 すっごくリアルな夢でした。
                  大家さん、何かあったのかしら? 大家さんはとてもいい方で、
                  母に優しくしてくれます。
                  先日も屋根を直してくれたばかりでした。

                  何だろう?変な夢だな〜〜。
                  それにしても、、、、 玄関を開けたら何もなかった、、、、。
                  見渡す限り、何もない世界が広がっていた。
                  怖いくらい、何もなかった。
                  あれは何だろうか?


                   

                  古の力が欲しければ

                  2014.04.20 Sunday

                  0
                    こちらの記事は去年の今頃でしょうか。
                    私が書いた記事です。

                    これはまる未来の自分の為に書いたような内容で驚いています。
                    とても大事な内容です。私にとって。


                    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


                    古の力。
                    それは、特別なものではない。
                    探して何処かに隠されているようなものでもない。
                    光り輝く宝石でもなく、呪文のような詞でもない。

                    頂上を見上げるものでもなく 絶壁から下を見下ろすようなものでもない。
                    森羅万象の自然の中にあるものではなく
                    見る者を引き付ける美しい弧を描く虹の中にあるものでもない。
                    何処にあるわけでもなく だが何処にでもあるものである。

                    古の力は、自分を信じる力である。
                    過去の自分でも未来の自分でもなく 今の自分を信じる思いの力である。
                    今の自分がどんなに惨めであっても どんなに辛く悲しい
                    境遇にあっても 自分を信じる心こそが、古の力を呼び覚ます。
                    また、そうゆう境遇を体験しなければ、決して手に入らないものである。

                    何の苦労も悲しみもない状況であれば、自分を信じるのは容易い。
                    今の自分の状況が切なければ切ないほど、苦しければ苦しいほど、自分を信じられなくなる。
                    全てを疑いたくなる。何も信じるものがなくなる。
                    まるで霧に覆われた山の中にいるようだ。

                    だがそうゆうときこそ、古の力を手に入れるチャンスなのである。
                    これは、誰にでも巡ってくるチャンスではない。
                    全てを手放し、全てを受け入れると決めたものにだけに与えられるチャンスである。

                    だがこのチャンスはとても苦しい。

                    古の力は全てを手に入れる力である。
                    力を望めば力を。 財を望めば財を。
                    豊かさと平和を望めば豊かさと平和を。
                    権力を望めば権力を。そして戦を望めば戦を手に入れることができる。

                    今のこの一瞬の自分を信じてみよ。とことん信じてみよ。
                    何があろうと、何が起ころうと、どんなに惨めな状況であっても 自分を信じる。
                    その強い思いだけが必要である。
                    そう誓えるものだけに、その先を教えよう。


                    古の力の本当の力を、、、、。

                     

                    『人の心と米の話』

                    2014.01.29 Wednesday

                    0
                      04/18 THU

                      『人の心と米の話』

                      裸にならなければ、人の心は寄り添えない。
                      だから人は裸になる。心を寄り添う為に。


                      例え話をしよう。
                      精米をしていない米がある。
                      一粒だけを精米しても、他の米にもみ殻がついているので、、、
                      米を炊飯器で炊くことはできない。
                      つまりは米を食べられない。
                      半分を精米しても、精米をしていない半分の米と一緒にしたら、
                      やはり炊飯器で炊くことはできない。
                      まだ米として食べられない。 米が米として人間が食べれるためには、
                      ほとんど全ての米の精米が必要になる。裸になる必要がある。
                      そして、精米をすることによって一つの釜で炊くことができる。
                      米が寄り添うことができるのだ。

                      人もそうである。
                      人の心が寄り添うとういうことは、裸になるということだ。
                      服を脱ぐということではなく、全てを脱ぎ捨てるということだ。
                      脱ぎ去るということだ。
                      自分の今まで覆ってきた殻を脱ぐということだ。
                      これは恐ろしいほどに勇気がいる。
                      心が寄り添うということは、勇気と辛抱と忍耐が必要なのだ。

                      米を精米するとき酷く回転する。熱くもなる。
                      米ともみ殻を分ける作業は過酷である。
                      米は、もみ殻では食べられない。
                      でも、精米をして白いお米になったら、
                      いつでもどこでも水と入れ物と火さえあったら食べられる。
                      しかしそうなるためには、精米となるための試練がある。
                      殻を剥かないと食べれない。
                      これはとても単純なことであるが、その重要性に気づく人は少ない。

                      人の心が寄り添うことは稀である。
                      精米に耐えたれないことの方が多いからだ。
                      その人だけではなく、
                      その人の周りも精米をしなければ米として食べれない。
                      精米をしなければ、心が寄り添うことがない。
                      変化をして心を動かすのは自分だけではない。
                      周りにいる人も一緒に、心の変化と心を動かすことが必要となる。

                      ヒーリングとは精米だ。
                      自分はもちろん精米される。
                      だが、自分だけではなく自分の周りにいる人も一緒に精米されていく。
                      そうすれば米として一緒の釜で炊くことができる。
                      米が寄り添う。美味しいお米になる。

                      人の心もそれと同じ。
                      人の心が寄り添うためには、裸になる必要があるのだ。